「佐賀県は眼鏡の真ん中」論

葉隠の諸相 ~「佐賀県は眼鏡の真ん中」論~     嘉 村 孝

佐賀県は、というよりも、九州というところは、「眼鏡の真ん中」、つまり鼻かけの位置にあると思っています。変なことを言う人だなあと思われるかもしれませんが、眼鏡には勿論二つのグラスが備わっています(渦巻というべきかも)。一つのグラスは日本海というグラスです。もう一つのグラスは東シナ海というグラスです。

こんな考えを元に、二つの海の上に丸を書いて、約四十五度右に傾けてみると・・・なるほど佐賀県は眼鏡の真ん中だなということに気づいていただけるのではないでしょうか。

真ん中ですから、二つのグラスから色々な文化が流れてきました。

例えば同じ佐賀県でも山のほうは、脊振の名前の由来が、韓国語の「ソウル」から来ているという説があったり、あるいは、韓国の王女様が馬に乗ってやってきて、その馬の背が揺れたから脊振になったとする説などなど、いずれも北東アジアにちなむものがあります。同地方にあるツーベット山などもそうだと言われますし、九州で「原」を「ポル」と呼ぶなどは、韓国語の村落を意味する「ポル」から来ているという説も有力です。

こうして、北部は、秀吉の名護屋城から対馬が見えるとおり、極めて北東アジアに近いので、そちらからの文化の流入があったと考えるのが自然でしょう。最近の歴史学会では、これを逆に見て、沿海州や中国東北部から日本を見る図などがよく歴史の本に載せられています。

しかるに、もう一つの見方も極めて大切であり、また、有用ではないかと思っているわけです。それは東シナ海からの文化の流入です。

先にも述べましたとおり、有明海の干拓は、オランダ、台湾、中国沿岸、更にはセレベス、ジャワ、ニュージーランド、そして西洋までと同様の干拓手法であり、極めて広い世界的つながりを持ちます。

そして、干拓だけでなく、ムツゴロウ(ムツかけ)も楠の木も菱(ハンギー)も、シチメンソウ、更には人的なものとしては、村岡総本舗の村岡安廣さんが書かれているようなシュガーロードの流れ、明朝滅亡に伴う一六〇〇年代の福建省、浙江省、台湾などからの人物の移入など、私達が想像する以上に、極めて大きな意味を持っていると思います。長崎はもとより佐賀県にも沢山ある黄檗宗関係の寺院や、隣の柳川藩にある福厳寺などは、明朝と極めて関係深い寺です。

また、最近に至っては、杵島炭鉱や三池炭鉱の石炭が島原半島南端の口之津から上海を始めとする東南アジアに輸出されたりもしていました。

このように、二つのグラスはそれぞれに大きな文化的意味を持っています。

また、これを上記のとおり渦巻だと考えるならば、その渦巻の中からは、沢山の美味しい魚が獲れたということになるでしょう。江藤新平や大隈重信といった人物もまさにそのような所産であると考えたいと思います。これが北部九州の「豊かさ」です。

そこで最後に葉隠のことを言いますと、このような二つのグラスのうち、特に後者から入ってきた儒教文化により、和辻哲郎や相良亨が言うとおり、朱舜水らの影響を強く受けた水戸黄門や、その従兄弟保科正之、また、彼らの先駆者ともいえる山鹿素行らの「士道」が生れました。

山本常朝は、これらに対して、「上方風の打ちあがりたる武道」といって排斥する文言を述べていますが、今ではむしろこれが武士道の本流になっているとさえ言えるでしょう。葉隠の方は、常朝が強調する「一味同心」という中世の言葉にみられるとおり一種鎌倉時代的東方性を持っています。

ですから、眼鏡の2つのグラスをかれこれ比べてみることは、葉隠の述べること、あるいは山本常朝が述べることの本質を捉える意味でも極めて大切なことではないかと思うのです。

以上、県人会でお話ししたことを葉隠にちなむ部分に限定して若干膨らませてみました。いずれにしても、佐賀の持つ本当の豊かさをもっと追求してみたいものです。

タイトルとURLをコピーしました