葉隠の諸相 ―「鎌倉武士の全国展開と佐賀のグッズ」―
嘉村孝
佐賀県に鎌倉時代に多くの鎌倉武士がやって来たことは有名ですね。千葉一族が代表的ですが、鍋島直茂の奥さんの石井さんの家もそうですし、武藤さん、渋谷さん……『葉隠』の中にはたくさんの鎌倉武士の末裔がいます。
さて、平安末期以来浄土教が栄え、鎌倉時代に、法然に続き、親鸞、一遍等が出るとともに、一方では中国から渡来した禅宗が鎌倉武士の心をつかんで臨済宗、曹洞宗が発展し、更に、日蓮による日蓮宗ができたことなどなど、日本史の教科書で習う通りですよね。
しかして一方、そのような新仏教に対し、旧仏教の側からもいろいろな動きがありました。
あたかもヨーロッパで、一五一七年にルターによるプロテスタントの運動が始まったあと、カトリックでイグナチウス・ロヨラらのイエズス会などの運動が起こったことによく似ています。
いわば「戦争の時代」なればこそ、生きとし生けるものを大切にする、という仏教の本質が花開いてきた、とも言えます。
日本の場合、有名なものとしては栂尾の明恵上人と北条泰時との邂逅、笠置寺の貞慶による戒律復興などが挙げられますが、この関東に関係深いものとしては真言律宗があります。
即ち、それまでの律令時代、坊さんになるには東大寺をはじめとする戒壇院において戒を授けてもらうという授戒の手続きによって初めて律令法上の僧になり、様々な特権も与えられたわけですが、そのような仕組みが崩れて、戒を与える坊さんもいなくなった。
一方では、むしろ戒とは逆の上記新仏教がむしろ流行ってくるというような事実を前に、奈良西大寺の叡尊は、東大寺の大仏様の前でいわゆる自誓受戒を行って新しい真言律宗を開く、つまり戒律の仏教を再興するということになりました。これはもちろん明惠や貞慶と同じ傾向です。
そして、叡尊は、鎌倉にも下ってきましたが短期間であり、その弟子の忍性が鎌倉に極楽寺を開くなど、その伝播に務めたことも有名なことです。
そして、この真言律宗で面白いのが貿易とかにも関わっていたことで、横浜の称名寺が寺社造営料船を出して中国に送った経緯もありますが、九州の場合、その全域に真言律宗の本山西大寺の末寺があり、小倉の大興善寺には叡尊好みの清涼寺式釈迦如来像があったり、佐賀では、特に三田川の東妙寺が北条氏が神埼荘三千三百歩を我が物にした関係で真言律宗の寺として数々の寺宝にも恵まれる立派な寺となった次第です。
そして、その東妙寺の背後、石塔院にあるのが板碑です。
そもそもこの板碑というもの、本場は埼玉県であり、二万基、東京都も一万五千基、神奈川県、その他関東に多く、更に鎌倉武士が広がった全国にあります。徳島にも千三百基です。秩父の緑泥片岩を削り、頂上を三角の形にした、いわゆるストゥーパ、卒塔婆を建てるという風習です。その表面には七〇%ぐらいは阿弥陀如来つまりキリークが刻まれ、観音菩薩、勢至菩薩も刻まれています。
特に私が感動するのは、埼玉の入馬市にある光明寺の板碑で、いわゆる臨剣頌と呼ばれる円覚寺の開山無学祖元が宋の国にいた時にモンゴルの軍隊に踏み込まれて、その偈を述べ、兵隊が恐れ入って退散したという偈です(室町時代の雪村友梅につながります)。
「乾坤無地卓孤笻 乾坤孤筇を卓つるに地なし
且喜人空法亦空 喜び得たり、人空にして、法もまた空なるを
弥重大元三尺剣 弥(いよいよ)重し、大元三尺の剣
電光影裏斬春風 電光、影裏に春風を斬る」
これが昔だったら草深い入間の光明寺にあるということに感動を覚えるのです。
なお、板碑のレプリカとしては埼玉県立博物館に五メートル以上の巨大なものから二〇センチの小さいものまであります。
要は、関東というところが本来草深い田舎のようでありながら、親鸞の『教行信証』も茨城県の笠間で書き始められたり、そのような深い思想的なものを持った地域だったということが重要ではないかと思うのです。
そもそも、日本という国は、「大きさ」で競争してもとても世界には太刀打ちできないと思います。しかし、精神的なものにおいては別段大きさではないわけですから深いものがあります。
このことは、群馬県のこれまた佐賀市鬼丸の宝琳院と住職(円義)が一緒という深い関係を持つ長楽寺を訪れた時、町の助役をされていた小此木さんから新田義重の置文の解説をいただいた時つくづく思ったことでした。得てして、我々は、世界一大きいとか世界一古いとかそんなことばかり言っていますが、アジアの「端っこ」の日本は、そんなことでは元々勝てないし、そんなことで勝負する方がおかしい。それよりもやはり『葉隠』精神でいうならば鍋島直茂の言う「実」が問題であって、その点において板碑というものも面白いものではないかと思うのです。
板碑についてもっと言えば、例えば東村山の徳蔵寺板碑保存館には重要文化財の「元弘の板碑」がありますが、これも『太平記』の新田義貞の鎌倉攻めの日にちをぴたりと書いた板碑であって、歴史的価値は極めて大きなものです。
そんな次第で、精神的な深さを持った鎌倉の文化。それをもっと深めるのが良いのではないかなと思っている次第です。「山高きがゆえに尊からず。木あるをもって尊しとす」という名言を引かれた中村孝也先生の言葉も直茂の「実」の精神につながるような気がします。
