『武士道と徳川社会の近代化』と『葉隠』

葉隠の諸相

『武士道と徳川社会の近代化』と『葉隠』

嘉村 孝

今回は、「主君押込」で有名な笠谷和比古氏の同名の小論(ネットにもあります)についてちょっと考えてみました。

氏は、小論一頁目の「戦国武士から近世武士へ」のところで、中世社会においては、「御恩と奉公」的な武士の倫理観があって、主君が家来をかわいがらなければ、時には家来のほうから主君をやっつけるということもあった。七回主君を変えなければ家来としては役には立たないなどとまで言われていた、と書かれています。正にそのとおりでしょう。

それが、徳川時代になってからは身分関係が固定され、「君、君たらずといえども、臣は臣たらざるべからず」というようなことになってきた、という辺り。私も本当にそのとおりだと思います。この『古文孝経』序文の影響は極めて大です。ここまでは私と同意見。

 問題はそのあとに書かれた「近世武士道における批判精神の成長」です。「武士は主君に対して絶対の恭順を示すべきものとされた」、のだが、「次第にその中に批判精神が芽生えてきて、中世社会とは異なった意味において、…個々の武士の自立性の契機が重要な意義を担うようになっていく。」ということで持ち出されてくるのが『葉隠』です。

そこでは「御無理の仰付」、「牢人・切腹被仰付候とも、少しも不奉恨(うらみたてまつらず)、一の御奉公と存、生々世々御家を奉歎心入、是御当家(佐賀藩鍋島家)の侍の本意、覚悟の初門にて候」と主君への絶対服従の精神を言うものの、それはあくまでも覚悟の「初門」であって、「さて気に不叶事(かなわざること)はいつ迄もいつ迄も訴訟すべし」、「主君の御心入を直し、御国家を固め申すが大忠節と論を発展させていく」、と述べられています。「没我的な献身」の一方では、「悪しき主君に徹底的に抗していく諫争の精神との両面が存することに留意しなければならない」とおっしゃるのです。

 しかし、本当にそうでしょうか。

 少なくとも山本常朝さんやその仲間の述べていることは、「殿様殿様」ととなえよ、ですし、諫言についても、藤野保先生の大著『佐賀藩の総合研究』あたり、鍋島家とその親戚による佐賀藩上級武士の全面的独占は迅速で、常朝さんが家老になって「諌言したい」とかいっても、無理な話。これは幕府自体もそうでした。老中は徳川家と特別な関係のある家から、が大原則です。しかもそれは、笠谷氏も引用される荻生徂来の『政談』のとおり「天より仰付られ玉える御身分」として、正に漢の董仲舒由来の「天人相関」のような身分の固定化が江戸時代です。

 しかるに笠谷氏は、さらには「主君」よりも「御家」に対する忠誠ということになってくるのだ、ということで、「悪主・暴君を放置しておくことは『却って御家に対して不忠之儀』」というような論理がはじまるということで主君の「押込」というのがあったと言うのです。

 確かにお家騒動などの現象面として、そうしたことがあったことは事実ですが、でもそれは、それ以前から徐々に生まれてきた「家」観念が強まった、というだけのことではないでしょうか(石井紫郎先生の言われる「武士から武家へ」)。何しろ「お家」がちゃんとしていなければ自身の身が危うい(幕末、勤王か佐幕かで右往左往する多くの藩がそれ)。

そして氏は、遂には、(常朝さんと同類の)山鹿素行は、「西欧のJ・ロックやルソーの民約説にも近い議論を提示している」と述べられ、だから徳川社会においても「公共性理念とデモクラシーの発展」という深い問題が登場してくると言われます。

しかし、これはどう考えても、素行や常朝さんらの言っていることの文言の一部を取り上げただけの話としか思えません。

素行は「凡そ同じく是れ人にして、資を委ね身を棄てて主人とあがめ敬ふこと、全く人の力にあらず、唯だ天命のなす所也。其の故は材智勇力賢徳の勝劣を以て上下となり君臣となるは、論ずるに足ら不ること也。君は父祖代々天禄天位の厚き所に生れ、臣は卑薄貧賤の地に生る。此のたがひあるを以て、巳むを得不して上となり下となれる事なれば、是れ天の命ずる所にあらずや。(山鹿語録巻第四、全集第四巻二三一頁)」と述べるのです。ここにあるのは正に「天より仰付られ玉える御身分」そして、武士の「上位」。ただし、それによる「責任」ではありますが、間違っても「デモクラシー」はありません。

そのような「自立的な武士」によって日本の近代社会ができたのかといえば、むしろ、いつも私が書くとおり、また和辻哲郎先生らの述べられる如く、あるいは東大の憲法学者・穂積八束が『法学協会雑誌』において述べる如く、「水府の史論」と「国学」によって明治維新はなった。つまり水戸黄門らの説く、『葉隠』のような「武士道」ではない「士道」が大きかった。政治的な巨大なエモーショナルなものを起したのは、水戸学であったり神儒一致であったり、国学であったりと言うのです。それは何回か前に書いたとおり大隈重信も言っていることです。

そして、少なくともこの小論には、一向国際的な視点がありません。日本の江戸時代における歴史の中に、アジア諸国の激動との関係が全く書かれていません(これは一般の「日本史」の本もそうです。台湾が現在、「東アジア史」として歴史を教えるのと異なる)。例えば笠谷氏の言われる「諌言」も、中国の台諌などアジアや世界の歴史を知ってこそ、その真意がわかります。

私はロックが学んだロンドンのウエストミンスタースクールや、ジュネーブのルソーの生地等々を巡ってみましたが、その結果思うのは、残念ながら彼らは、国家社会との関係では、常朝さんとは格が違います。例えばルソーがヴァランス夫人と会い、「若気の至り」からまさに目が覚め、懸賞論文に応募して書いたのが、大著『人間不平等起源論』であり、後の『社会契約論』や『エミール』につながるものですが、それは、アンシャンレジューム下における人間の富の差というものを始源に遡って追及したもので、その後の社会政策的な問題、更には、現代における会社のシェアホルダーとステークホルダーとの関係をどうするかというような根本的問題を提起しています。これに対して、常朝さんがそんなことを言ったかといったら、一向そんなことはありません。

ただし、かといって『葉隠』という本自体がお粗末なわけではありません。むしろ、常朝さんの言ったことをその一部とする全体をまとめた田代陣基という人がまずはすごいし、そのことは、かつて親しくおつきあいさせていただいた三好不二雄佐大名誉教授(元宮内庁書陵部から旧制佐高教授。古文書学の大権威。)もおっしゃっておられたことでした。

そもそも、今や稀覯本になってしまった筑摩書房『甲陽軍鑑・五輪書・葉隠集』の中で、相良亨先生が述べられたとおり、『葉隠』は、「地方的で、土のにおいのする」本であることこそ魅力であって、江戸・京都らの「上方」つまりは素行らの発想とは異なるのです。

そして、『葉隠』の中には秀吉も家康も、そして四十人くらいの坊さんが、様々な深いこと、有益なことを述べています。もちろん常朝さんもその内の一人で、湛然和尚とともに、下村湖人先生が言われたとおり、「大慈悲」という仏教の深奥を述べています。それはロックやルソーらのような国家を動かすものではないかもしれませんが、一個人の生き方として素晴らしいものです。

こうして、『葉隠』は深い井戸のようなもので、そこから美味しい水を汲み出すには、こちらにも一定の「力」が必要で、それは、個々の文言の「奥」をたずねる読み手の深さ、広さでもあると思います。

タイトルとURLをコピーしました