葉隠の諸相 ―『甲陽軍鑑』と『葉隠』― 嘉 村 孝
この二つの本の関係については、以前も取り上げたような気がしますが、いくらでも議論の種がありそうです。
いずれも武士道を題材としており、『甲陽軍鑑』が『葉隠』に約百年先行します。分量的には『甲陽軍鑑』は『葉隠』の約一.五倍。勿論量が多いからすごいというわけではありませんが、いずれも統一の取れない本とは言いながら、前者は、その「主人公」武田信玄が現実の戦争に直面し、しかも、国を保ち、あるいは天下を窺った人であるだけに、その内容は極めてシリアスかつ幅の広いものであり、以後、様々な世界にその発想が影響を与えたというのも頷けることかと思います。
『甲陽軍鑑』は、戦前の本(例えば『校註葉隠』)では武田信玄に随身した高坂弾正昌信が信玄の事績を綴ったものと書かれていますが、その後、内容に年代の誤りなどが指摘され、また、時代的にも下る話しが多いので、何人かによって書き継がれてきたのではないかという説が最近の傾向かと思います。徳川幕府成立後の一六二〇年ころ、小幡景憲などによって概ね現在のような形にとりまとめられたというあたりがまずまずの(?)通説のようです。
上記のとおり明らかな誤りが散見されるので、歴史上の史料として直ちに使うことが難しくなっているようですが、ただ、書かれている「思想」というか、武士の生き方自体については、戦国末期から江戸初期において、そのような考え方が行われていたということを示す点において、極めて史料的価値大の本だと思います。特に、以前も述べましたとおり、この本が初めて「武士道」という言葉を多用しており、「武士の一道」といったフレーズもあります。
相良亨先生が言われたとおり、武士の生き方には、バックに仏教を置く「武士道」と儒教を置く「士道」とがあると思われますが、この本は信玄自体が法体となりお坊さんになったことからも、妙心寺派系の禅の思想が色濃く反映されており、「武士道」本の典型です。これに対して葉隠は、時代が下った結果、特に山本常朝において、やや儒教に寄った本であるともいえるでしょう(だから分かりにくいのです)。
一方、信玄は『孫子』を極めて重視し、正に孫子的な生き方をした人なので、冷静沈着な真の戦略・戦術が描かれており、平和な時代に生きた常朝とは異なります。むしろ、『葉隠』の中では、信玄と同時代に生きた鍋島清久・直茂らの行動あるいは山本常朝の祖父山本神右衛門に、『甲陽軍鑑』と同様のものがあり、それは洋の東西を問わず、現実の戦争に直面した人たちの共通の傾向と言えるでしょうし、葉隠の真の価値もここにあると私は思っています。
と、こんな話ばかり並べてもつまらないので、ごく簡単に、『甲陽軍鑑』の代表的な部分を吉田豊さんの現代語訳で引用すれば、「武略の基本は、自国の中の城々を正しくかまえ、陣を正しく張り、部隊を正しく編成することが中心となる。また知略とは何か。すぐれた大将がいて奇襲戦法をとる敵には正攻法で対応し、よい大将がおらずに奇襲をしようとする敵には、こちらも奇襲戦法をとり、よい大将がいて正攻法でくる敵に対しては、味方は奇策をとるように見せて実は正攻法をとり、よい大将がおらずに正攻法でくる敵に対しては威力によってこれを圧倒する。敵を挑発してその反応を調べ、敵の行軍の途中を攻撃し、伏兵を使って殺し、降伏させ、また敵の中に内応する侍をつくり、また味方の中の謀略にすぐれた勇士を選んで敵国にさしむけ、敵の作戦を聞きとって敵を完全に滅ぼすなどというのが、まず知略の基本である。次に計略というのは、知恵のすぐれた出家、町人、百姓などに日ごろから恩を与えておき、敵国に派遣して、敵の大将が無能で、道楽にふけり、民衆の不満をかっていることを聞き出して、敵国を動揺させておいてから、その国を攻める。また敵の中の邪欲の強い者を聞き出し、贈物などの手段によって味方につけ、その国を従える。こうしたことが計略の基本である。右の武略、知略、計略の三つのやり方について十分に知り、これを実行して勝利を得る行為を指して、すぐれた軍法という。このすぐれた軍法の源は何かといえば、大将の指揮が的確だということである。そして的確な指揮は、正しい制度によって行なわれる。(品第四十一)」と。
一方、この傾向の先駆者は、やはり『孫子』であり、例えば、謀攻篇では、「孫子曰く、凡そ兵を用ふるの法、國を全うするを上と為し、國を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次ぐ。故に上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む。是の故に百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦はずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。此れ國を安んじ軍を全うするの道なり。」と、正に信玄と同じです(細かい注については、明治書院の「新釈漢文大系」をご覧ください)。
特に最近においては、武士道というと何やら死を恐れずに猪突することのみが強調される嫌いがあり、私の経験で言うと、アメリカ、ヨーロッパあるいは中東などでは、それが日本の代表的「武士道」であり、それをよしとする外国人を沢山見かけるような次第で、現代世界の大きな問題の一因にさえなってしまっているのではないかとも考えられるわけですが、むしろ本来的な日本の武士道を最初にぶち上げた本『甲陽軍鑑』は、そんな発想ではなかった、戦いはまず絶対に避けねばならないものだし、そのためには日頃のケアが大事、万一戦いになった時には絶対に勝てるようにする云々といったようなことが日本の本来の武士道なのであって、常朝が長崎喧嘩について述べるような勝敗を顧みずに行うというようなことは正に観念論だということを、このような元祖武士道書の理解から広めていきたいものです。
一方、そんな常朝も、一応『甲陽軍鑑』には感動したようで、『葉隠』の中には『甲陽軍鑑』が数か所に引用されています。例えば、明らかに常朝がしゃべったと思われる血止めのために馬糞を飲む話しなども面白いものです。本当はもっと本質的なところを引いて欲しかったなという気がします。ただ、例えば軍法などの問題については『葉隠』の言っている軍法の意味が少々不明であるところ、むしろ、『甲陽軍鑑』では、軍法というのは軍律ではなくて戦の仕方であって、それについては有名な「風林火山」の部分など、正に適正な軍勢の配置や進出、また退却など、要は用兵のことを述べているのであって、一般的な軍法という言葉とは違っています。
いずれにしても、こうして正に三国志的な世界を現出している『甲陽軍鑑』は、常朝が尊敬した戦国武将たちの生き方の真意を知るためにも貴重な本であると考えます。
