葉隠の諸相 ―三人の学者と佐賀の歴史(近世)― 嘉 村 孝
テレビでは、坂本龍馬のドラマが流行っているようですね。人気のもとには司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」があるようですが、この司馬遼太郎さんが大いに影響を受けたといわれる学者に宮崎市定という方がおられます。宮崎先生はもう亡くなっていますが、郷里の長野県飯山市では名誉市民でしたし、岩波から全集もでている大先生。でも、この先生の本、私にはどうも気になるところが多いのです。例えば「アジア史論」では、・・・
ところが近世日本の権力者は、外国文化を輸入するよりも、流入を阻止するに努力した。これでは傑作のできるはずがない。日本の大名たちは化物の出そうな天守閣を背景にこしらえて、その下にただ在来の建築を大きく引き伸ばしたに過ぎない邸宅に住んで満足していた。明・清の北京宮殿を真似しようともせず、ベルサイユ宮殿を模倣しようとも考えなかった。甚だドライな野人であったのである。ただ幕府や諸大名の力で建立された黄檗山万福寺が、中国の近世を移植した唯一の例とでも言えようか。但しこれも大した上等品ではない。
これに比べると中国では、西洋の近世に興味をもって幾つかの記念物を残している。これは明末清初にかけての帝王が、進んで西洋の近世を取り入れようとしたからである。乾隆帝がベルサイユ宮殿に模して造営したといわれる西山の円明園は不幸にして、英・仏連合軍の北京占領の際に焼き払われてしまったが、もしもこれが存在していたならば、その結構において本物にあまり引けをとらぬ傑作として北京名所の随一に数えられたであろう。この外に現今に残るのは、西洋宣教師が造った天文儀器を陳列している観象台である。そしてちょうどこれに比すべきものは日本に何もない。
と、まあこんな具合。
「葉隠精神」の「これも非なり非なり」の発想からはあり得ない自信満々ではないでしょうか。
もちろん、特に宋学の受容において、鍋島直茂や勝茂の代がおくれていたことはわかります。
でも、こうなると、「なーんもなか」と言われがちな佐賀県には益々何もないということになってしまいそうです。
でも本当にそうでしょうか。内藤湖南の跡を継ぎ、京都大学の重鎮たる宮崎先生に太刀打ちできるような情報は到底持ち合わせてはいませんが、ここに書いてあることはやや極端過ぎないかと思うのです。
例えば、宇治の萬福寺を挙げるならば、長崎には崇福寺をはじめとする三福寺があります。それらの部材は、はるかに大陸でチーク材を刻み、はるばる渡海させて組み立てた遠大なもの。現在も南京音のお経が唱えられている国際的なところです。
土木事業で言うならば、私は多分、石井樋も大陸と強い関係があると思っていますし、最近よく話しに出る、台湾の八田與一さんが関与したダムなども、その土木技術はみやき町の千栗の土居と全く変りはありません。つまりはあれも西洋のとの関わりあり(どころか、オランダの干拓法が有明海と同様なのも面白い)。
また観象台が無いと言われますが、江戸には三基もあったと言われていますし、現在、会津若松には小さいながらも観象台が残っています。これとかかわる暦法においては、渋川春海がむしろ中国の授時暦の影響を受けて、それに対抗するわが国独自の暦として貞享暦を作ったことなど、以前書いたとおりです。その他にも数々の、近代における大陸との関わりが考えられると思います。
で、そうなると、もう一人の学者である江上波夫先生の事が頭に浮かんでくるのです。江上先生は夙に「私は『国際的』という言葉が好きなんです」と言われ、その最も国際的な町の一つである横浜市にユーラシア文化館を寄贈されました。戦前、内蒙古自治区のオロンスムにおいて、ネストリウス派キリスト教の遺跡を発掘されたことなど、フィールドワーカーとしての面目躍如たるところがあります。このような先生なればこそ、ロマンあふれる、また実証性の点でも大いに理由のある騎馬民族(征服)王朝説(「征服」は先生のネーミングではないとのこと)を唱えられたのでしょう。
で、そんな立場からもう一人の学者、大村幸弘先生をあげてみたいのですが、先日佐賀新聞にも紹介されたトルコの遺跡を発掘中のこの先生の本では、遺跡は、その表層を眺めることにより数千年昔のことまである程度読めると言われます。それは、建物の建った部分が他民族による征服等によって壊されても、そこの土をならして、更にその上に家を建てることが行われるので、それが壊されてまた建てる、といったことを繰り返していくと、結局一番の表層部分に一番下の部分が幾分かでも残っているというわけです。そうするとこれは、遺物、遺跡だけの話しではないでしょう。我々の考え方や行動様式そのものの中にもそうした遺物が含まれているとも言えますし、特に佐賀県には、文化編年(年表)として、中身の濃い、国際的なものが詰まっていると思います。
それは、宮崎先生が言われる近世も然り。わが佐賀県の場合こそ、前回も述べたように中国、朝鮮、西欧「に近い」国際的な様々な情報があることをこれからも発信していきたいものです。
