先日お伺いして、大変お世話になったのが群馬県尾島町。 利根川に面する古くからの交通の要衝で、新田一族の根拠地。徳川家の発祥の地ともさ れたことから千姫にかかわる縁切寺・満徳寺の跡や東照宮があります。中で、何といっ ても長楽寺は圧巻。 今から約800年前の承久3年(1221)、新田氏の祖・源義重の四男徳川義季が、臨済宗の 名僧で、栄西の弟子である栄朝を開山として招き、東関最初の禅窟として開いた寺で す。 その三仏堂には、佐賀の葉隠にも登場する鍋島直之寄進の阿弥陀様が。中世、近世と、 九州どころか中国にまでつながる広い交流の跡が見られます。 正面の額は鎌倉時代の後鳥羽上皇下賜のものを写したもの。「顕密禅」とあるのは、開 山の栄朝が三宗兼学、すなわち天台の顕教と臨済禅、そして密教も学ぶことをコンセプ トにしたためです。そしてこの寺は、この幅広い学問の姿勢を何百年間も持してきまし た。 「宗教」が世界の問題になっている今、日本のこんな寺のこと、その姿勢をもっとみん なで考えたいものです。 次の写真は、藤沢市にある時宗総本山・遊行寺にある「敵御方(てきみかた)平等供養 塔」。 大きく「南無阿弥陀仏」と彫られていて、「応永23年10月6日より兵乱、同14年に至 る。 在々所々において、敵御方箭刀(てきみかたやかたな)水火のために落命せる人畜の亡 魂、悉く浄土に往生せしめん故なり。この塔婆の前を通る僧も俗人も十念あるべき者な り。」と書いてあります。 室町時代の応永23年(1416~1417)、上杉禅宗が鎌倉公方足利持氏に乱を起こし、戦火 は関東一円に及びました.。その時戦死した敵味方、軍馬を弔うために建てられた塔で、 博愛の精神を示す貴重な資料として国の史跡に指定されています。 いずれも中世日本の幅の広さ、奥の深さを感じさせるものではないでしょうか。 |
中世日本仏教の、幅の広さと奥の深さ
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