イラクの戦争から、敵討ちについて一つ。
葉隠に出てくる敵討ちといえば、やはり赤穂浪士が重要です。
ただし、葉隠は、この敵討ちにつき極めて否定的で「浅野殿浪人夜討も、泉岳寺にて腹切らぬ
が落ち度なり。また、主を打たせて、敵を討つことのびのびなり。もし、そのうちに吉良殿病死
の時は残念千萬なり。上方衆は智恵賢きゆえ誉めらるる仕様は上手なれども、長崎喧嘩のように
無分別にすることはならぬなり。・・・時の行き掛かりにて勝負はあるべし。恥をかかぬ仕様は
別なり。死ぬまでなり。その場にかなわずば打ち返しなり。これには智恵もわざも入らぬなり。
曲者というは勝負を考えず、無二無三に死に狂いするばかりなり。これにて夢さむるなり」など
と言って非難します。
つまりは、味方が殺されたその日に敵を討った「長崎喧嘩」のようであれというのです。葉隠
には、その言う所の「上方武士道」のような、「法」に裏付けられ、洗練された敵討ちという一
般的観念はなく、喧嘩しかないということになります(敵討ち法自体は明文がありませんが、手
続きが決まっています。国史大辞典や平出さんの「敵討(中公文庫で絶版・明治時代に出た本で
すが、以後の本は皆この孫引きとのこと)」にある「敵討一覧」にも「長崎喧嘩」は載っていま
せん。やられてすぐやりかえすのは敵討ちではないのです)。
一方、上方武士道の代表・水戸黄門は「戦場に駆けいりて討ち死にするはいとやすき業にてい
かなる無下の者にてもなしえらるべし。生くべきときは生き、死すべき時にのみ死するを真の勇
とはいうなり」と言ったそうで(新渡戸稲造「武士道」43頁)、「無二無三に死に狂いするば
かりなり」の葉隠とは正に正反対です。
私は、葉隠の上記文中に「無分別」という仏教用語があるとおり、葉隠のこの文章は仏教の
「はからいのなさ」をよく言えば徹底、悪く言えば曲解した山本常朝の一種のファンダメンタリ
ズムと思っていますが、ここの議論についてはやはり赤穂浪士や水戸黄門に軍配を挙げざるをえ
ないと思います。
これに対して仏教の本道は、例え物理的死を問題にするにしてもそれは禅者としての無我を前
提とするものでしょう。
駒沢大学の山上曹元が「死ぬことと見つけたり」について「年百年中、死人になりきって働く
のが、誠の道にかなう人であるぞとの誡であろう」と言い、あるいは、例えば、元の軍勢に踏み
込まれた円覚寺開山・無学祖元が有名な「臨剣頌」をはいてこれを退散させたように。
「乾坤 孤きょう(こきょう・つえ)を立つるに地なし
喜びえたり 人 空にして 法また空なるを
珍重す 大元 三尺の剣
電光影裏に 春風を斬る」
正に「死」としての「無我」に徹し、死を覚悟した仏者が「生きた」事例です。
いずれにせよ、こうしたことからも私がかねて言うとおり、武士道には最低、二つのものがあ
ることがお分かりいただけるでしょう。
ところで葉隠には、例えば「慈悲の目に 憎しと思う人あらじ 咎のあるをばなおも哀れめ」
という歌も載せられています。そうすると、同じ本でありながら、敵討(少なくともひどい目に
あったあとの仕返し)はするなと言っているようにもみえるのはないでしょうか。もちろんこの
歌も仏教的なものです。
こうした発想は仏教本来のものともいえるのであり、例えば法然上人は、その父漆間時国を理
不尽な戦において殺されましたが、幼少の上人を父は枕元に呼び、「我死去の後、世の風儀に随
って敢えて敵を恨ることなかれ。・・・もしこの讐を報わんと思わば、世々生々互いに害心を抱
いて在在所所に輪廻絶ゆることなからん。・・・我この傷を痛む。人また何ぞ痛まざらん。我こ
の命を惜しむ。人あに惜しまざらんや。我が情をもって人の恩を知るべし。専ら自他平等の済度
を祈り親疎同じく菩提に至らんことを願うべし」と敵討ちの非なる事を諭したそうです。
大切なことは、この発想は仏教そのものであるだけでなく、仏教者からみた「武士道」でもあ
ることです。即ち、唐代の宗教・三階教の研究で有名な仏教学者・矢吹慶輝博士は、この法然上
人の父の言葉について、「武士道の形を捨ててその意を取ったもの」と評されているのです(法
然上人)。
葉隠の上記「慈悲の目に・・・」の歌はその発想の一つとも読めるのであり、そうであれば正
に前後矛盾といわねばならなりません。元々、一人の人が体系を意識して書いた本ではないこと
を思えば、矛盾のあることは当然として、間違っても葉隠を金科玉条のようにしてはならないと
いうことでしょう。
敵討ちと「本当の強さ」
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