若楠会郷土訪問記 嘉 村 孝
東京佐賀県人会青年部・若楠会は、新会長・高栁一誠氏のもと、平成二二年一一月一二日、吉村久夫県人会長も参加されて、恒例の郷土訪問を施行しました。
今年は従来と趣を変え、「企業訪問」とし、初日、吉野ヶ里町のトワード物流を、更に鳥栖市にある久光製薬の博物館を訪問しました。
まず、一一月一二日午前一一時、福岡空港に集合した一行は、バスに乗り込み、基山町にある基肄城に向かいました。
長崎本線の下をくぐって、西方の山を登っていくと、進行方向の左右には美しいもみじが見届けられ、まるで京都の高雄にでも来たような気分。「九年庵」に加えて、ここも立派なもみじの名所です。
九十九折の山道を登って辿り着くと、眼前には草スキー場のスロープが広がっています。「お、ここは草スキー場だ。子供の時来たことがあるよ」という声があちこちから上がりました。
しかし実は、この草スキー場は基肄城のいわば外辺です。スキー場のトップまで登れば、そこは基肄城の一番高いところで、北は博多湾から福岡市街地・立花城を、間に太宰府、大野城を挟んで筑後平野、耳納山地、有明海までも望むことが出来ます。
この雄大さは、反対側にある大野城に勝るとも劣らないものと言って良いでしょう。
こうした山城が造られたのは、六六三年の白村江の敗戦の後、天智天皇らにより唐や新羅の連合軍に備えてのもので、百済からの帰化人による朝鮮式の山城です。いわば万里の長城と同様のものといってよいでしょう。土塁の内側には数々の礎石や水門など歴史的史料が満載で、これらをもう少し世に出せば佐賀県の観光に役立つこと請け合いとみんなで話し合ったものでした(最近、水門の補修事業などが始まったとの佐賀新聞の記事を見ました)。
一息入れて、いよいよトワード物流に向かいます。吉野ヶ里町の県道に位置する本社をまずは訪問。エントランスに入った途端、職員の皆さん総出で起立して「いらっしゃいませ」の素晴らしいご挨拶に一同感嘆の声。しかもその笑顔の良かったこと。社員教育の行き届きぶりには脱帽です。役員の方との名刺交換の後、会議室に導きいれられ、社長友田健治氏より会社の概要を伺いました。
当社は昭和一六年に遡る古い会社で、友田社長になってからそれまでの一般的な運送業から著しい脱皮を遂げて、現在はIT機器まで生産し、外食産業から排出される食物残渣のリサイクルなど環境問題にも取り組み、近い将来の上場まで見越した先進的な会社に発展しております。日本経済新聞などにもたびたび取上げられ、吉村会長が会長を務められた日経BP社からも表彰を受け、佐賀県の注目企業の1つです。例えば、TRU-SAM(トラサム)では、3軸加速度センサによる「揺れ」「急ハンドル」「事故」の検出・事務所連絡機能、車速解析による波状運転を波状指数として定量化し、運転技術を評価する機能、居眠り防止機能、フロントカメラによる事故発生時の状況撮影機能、バックモニタによる安全確認機能など、運送に携るドライバーさんの運行状況をつぶさにチェックし、これを記録、あるいはリサーチしていきます。これによって、大きな顧客である食品関係の皆様へのジャストインタイムでの材料の運搬ができますし、事故率も圧倒的に減らすことができます。
取引先には、有名な外食産業などがありますが、品種の異なる食材、違う冷蔵温度のものを一括して運搬するという特殊なノウハウなども持ち合わせています。温度管理、鮮度管理の専門企業といえるでしょう。
一行は、説明のあと、物流の拠点である、物流基地低温センターへと向かいました。最初は小さな倉庫だけだったのが段々建て増しし、現在はここ佐賀県にはじまり福岡県などに大きな物流拠点を持っています。もちろん九州一円をはじめ、東京など全国に展開する会社です。
マイナス二五度の冷蔵庫から数々のものを仕分ける部屋、更にそれを運搬する小型の運送用具に至るまで、正にきめ細やかさを極限まで追求した同社の将来は、それを運用する人々のスキルと意欲が極めて高いことと相まって大いに発展が見込まれます。
今後同社が佐賀県を代表する流通のトップ企業に成長することを祈りつつ、一行は同社を後にしました。
更に、一行は鳥栖市にある久光製薬の博物館を訪問しました。山川秀機館長さんや相原由美子学芸員さんらスタッフの方々に歓待を受けた後、館内をくまなく拝見させて頂きましたが、製薬メーカーでこのような博物館を持つところは全国でも二つくらいしかなく、売薬から発展してきた富山などでも、筆者自身一、二箇所訪問したことがありますが、規模がまるっきり違います。しかも美しく新しく、薬草を栽培している薬木薬草園に至るまで、その内容は正に感動的と言ってよいほどで、これまた佐賀県においてももっとアピールしていくべきでしょう。
特にヨーロッパからそのまま移してきた薬店の迫力には、「本物」の素晴らしさを味わいました。
こうして、充実した一日目が終わり、遂に予定していた「トムソーヤの森」は割愛せざるを得なくなりました。
翌一三日は、まずは福岡県にある大刀洗平和記念館を訪問しました。九七戦やゼロ戦といったかつての戦闘機の展示もさることながら、ここでも館員の方のご説明を受け、東洋一を誇った大刀洗飛行場が何故この地に立地されたのか、そこでは佐賀県をはじめとする全国の人々が働き、陸軍飛行学校として、また、終戦直前には特攻隊の基地となって多くの若人が飛び立って行ったこと、更に、B29の爆撃を受けて一度に何十人もの小学生が死亡するなど、それらのいきさつを教えてくれるビデオには思わず涙を流した人も多かったようです。
その後、筑前の小京都・秋月を訪問。秋月郷土館でも館員の方の懇切な説明で秋月氏が中国の漢の劉邦の末裔を称した大倉一族から分かれて上杉鷹山に至るまで。最後はまた黒田家の数々の宝物と篤志家によるルノワールをはじめとした絵画など、美術の秋を満喫しました。
そして、最終日までお付き合い頂いた方とは、一緒に英彦山に登りました。英彦山は、山本常朝が、英彦山のいわば佐賀における出張所ともいうべき徳善院を、高伝寺、万部島とともに尊崇すべし、と断っているように、佐賀藩にとって最も大切な場所です。
英彦山参りを一三年間にわたって行った鍋島直茂の祖父清久は、そのお陰で肥前の主になったことから鍋島家は英彦山を大切にし、初代藩主勝茂は国の重要文化財である銅の鳥居を寄進。更に、光茂は石の鳥居を、そして直正は一二〇〇メートルの頂上に上宮を寄進しています。昔、山伏がいた財蔵坊からは、地元ボランティアの早田利光様のご案内で、鍋島藩に関わり深い数々の品々を見ることができ、奉幣殿や資料館をご案内いただきました。奉幣殿までだけでも千メートルもある石の参道の両側には、多くの山伏の坊跡があり、そのしつらえは、佐賀市西郊にある徳善院と正に一緒で、徳善院が改めてこの英彦山のミニミニ版であるということに深い感動を覚えました。
こうして新機軸を打ち出した郷土訪問は充実の中に終わり、お世話になった皆様の一層のご発展を祈ること切でした。
