| 2004/1/11 (日) 23:54:28 – 嘉村孝 – No.1073832610 は武蔵国足立郡五兵衛新田です。 新撰組は山梨県勝沼・柏尾での西軍との戦いに敗れたあと、3月13日から4月1日まで、こ この川岸、金子邸、観音寺などに本陣を置きました。綾瀬川は正に防衛ラインであることがわか ります(ちなみにそのそばの東京拘置所、つまり昔の「小菅御殿」も、現在でも川や堀に囲まれ た陣屋形態)。 そして、その後流山に脱出するも、近藤勇はそこで捕らえられ、板橋で斬首されたことはご存 知のとおり。 とはいっても、この間、空白の時間がたくさんあり、また、ちりぢりだった隊士がどこにいた のかの場所もはっきりしません。小説や最近の便乗本など極めて怪しいものです。 上記の記事は山形紘先生の「新撰組流山始末」によっています。同先生の水戸・戊辰戦争につ いての本も、薄くても読みこたえがあります。 しっかり足で歩いて書き、ほとんど本屋さんにでておらず、地元にしかない、しかしロングセ ラーというこういう本こそ「本物」でしょう。 |
電車から見える「新撰組」の故地
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