牛島天満宮から考えること

葉隠の諸相―牛島天満宮から考えること              嘉村孝

牛島天満宮は佐賀城の東北に位置する神社です。この神社は、葉隠によると、元は筑後の国にあったようですが、蓮池町・牛の島に、牛島氏により勧請され、更に現在の地に移転しました。

このように神社が移転したということには軍事的な意味があると思っています。

佐賀城の絵図を見ますと、佐賀の城の東北にこの牛島天満宮が、西北に天祐寺があります。これら二つはいずれも古い絵図では堀に囲まれ、現在も、特に天祐寺はそのような形態をなしています。北の山に盤踞する神代一党に備えたものでしょう。

さて、それはさておき、この天満宮というもののいわれをちょっと考えてみたいと思います。

天満宮は天神ともいわれますが、そもそも天神は地祇と対立するものとして、古くから尊崇されてきました。しかして、西暦903年に太宰府に流され死亡した菅原道真が、雷となって都を襲うといったことをきっかけとして、道真の霊そのものを神として祀るいわゆる御霊信仰の典型として北野天満宮が生まれ、更に天神信仰と習合したものといわれています。

こうして京都の北野天満宮を発祥の地とし、太宰府においても、神としての道真を祀ることになり、道真の墓があった安楽寺即ち、お墓のある寺院が「宮」となりました。したがって、太宰府天満宮には本殿はありません。

そして、明治維新に至るまで、太宰府天満宮も五重塔や鐘楼をもった一種の寺院であり、現在は別になっている光明寺なども天満宮の一角ということだったのです。

ところで、太宰府天満宮の宝物館には、道真の書と言われるものがありますが、書の中には数々の鳥が見えます。そこには、これは道真が都をしのんで書いたのだ、というような説明がなされていますが、私はそれは違うのではないかな、と思いました。というのは、現在でも中国に行けば、いや、それどころか、先日横浜中華街に行っても、「飛白書」というものがあり、それは字のあちこちに鳥が飛んでいる、おめでたい書です。そうすると、この道真の書もまたそういった飛白書に関係するものではないかと思われたのです。ただし、飛白書というのは刷毛で書きますが、天満宮の道真の書は刷毛ではなく筆で書いてあるように見えます。いずれにしても、そうすると道真は書の中に鳥が飛ぶという発想を自分自分が発明したのではなく、どこからか持ってきたのではないか、ということで、書道の本を紐解きますと、則天武后が洛陽に作った石碑に飛白書の写真がありました。そこでこれを拡大コピーにかけてみますと、中には沢山の鳥がいます。則天武后といえば、590年に中国でただ一人の女性の皇帝として即位した人ですが、それから約200年近く後に、道真はそうしたものを作っているということになるのでしょう。つまりは、そういった情報を道真は大陸から得ていたからこそ、遣唐使の廃止を建言できたというようなことが言えるのではないかと思います。ところでそうすると、中国がこの飛白書の発祥の地かといいますと、先日友人のイランの人と話していたら、実は鳥が天から神の声を伝えてくるというちょうど朝鮮半島のソッテと同じ伝説がイランにもあるようで、目の前に置いてあった絨毯に沢山の鳥が飛んでいるのを見ました。こうしてどこまでもどこまでも発想が広がっていくというのが実態ではないかと思います。なお、東京の人がこういった鳥が飛んでいる字を見たいということになれば、例えば市ケ谷八幡宮の鳥居を見ますと、しっかり鳥が飛んでいますので、これまた面白い現象です。鶴岡八幡宮の八の字、それに引っ掛けた鳩サブレも、熊野権現の起請文も以上に類するものと言えるかもしれません。

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