葉隠と武田信玄  

葉隠の諸相  葉隠と武田信玄                      嘉村 孝

 先日の葉隠フォーラム100回記念コンベンションには、百数十名の方々にお集まりいただきまし

た。今泉正隆元警視総監からもお話しをいただき、司馬遼太郎さんのことを述べられましたが、それは、

司馬さんによる意外にも低い葉隠に対する評価の話しでした。いずれもしても、様々な角度から葉隠を

みることは大切で、それによって、葉隠の真価も明らかになるのではないかと思います。

 そんなわけで、先日は、司馬さんならぬ井上靖さんを特に意識したわけではありせんが、「風林火山」の武田信玄をとり上げてみました。

まず、葉隠には武田信玄の話がいくつか出てきます。例えば「夜陰の閑談」においては、「釈迦も孔

子も楠木も信玄も、竜造寺、鍋島に被官かけられ候儀、これなく候へば」というように、ある意味釈迦や孔子と同列に並べられていますし、聞書第十以下には、武田信玄が、喧嘩をした武士が互いに刀を用いなかったからというので踏みつけられた侍だけでなく踏みつけたほうの侍も共に磔にかけよ、と命じた話。あるいは家来の考え方を知るために奥さんとの強制的な離縁を命じ、それに対し家来が妻を守りとおすことによってことのほかの褒美をさしあげた話などなど出てきます。

こうした信玄の生き方は、実際上、葉隠に大きな影響を与えていると考えますが、果たしてこれらが信玄の実像を伝えているかどうかについてはいささか怪しいところがありますし、また巷間言われる、川中島の戦いにおいて対面して信玄が軍配団扇で止めたかどうか、あるいは謙信が本当に塩を送ったかなど、必ずしも正確なものとばかりは言えません。信玄の話で有名なものの多くは、甲陽軍鑑の中にあります(勿論他にも武田信玄の伝記は何種類もありますが、上杉方から書かれたものとは随分違います)。 

そして、この甲陽軍鑑、著者が必ずしもはっきりしない、また誤りも多々ある本ですが、その述べて

いる戦国武士の生き方については大いに参考になりますし、むしろ本質が書かれているという点において、大方の賛同を得ている本といってよいでしょう。特にこの本において、初めて本格的に「武士道」という言葉が用いられ、あるいは「武士の一道」というような言葉が用いられているのも大きな特徴です。佐賀出身の久米邦武先生によれば、「武士道」は昔からの言葉ではなかったとのこと、既に記したとおりです。

ところでこの甲陽軍鑑、成立は江戸時代初期、即ち元和年間にまで遡るようで、葉隠に比べれば約百年古い本です。したがって、それだけ戦国時代に近いことから、戦いについてのリアリズム、つまり戦争への密着度は、葉隠以上です。また武田信玄という人が仏教だけでなく儒教、あるいは孫子の兵法等に極めて造詣が深かったことなどから、その内容は量的にも葉隠を上回っています。ただし葉隠も、戦国武将である鍋島直茂らの生き方の中には決して甲陽軍鑑にも劣らないものがあるというふうに考えます。

そのような観点からこの両者を比べてみますと、葉隠の中に再三出てくる「慈悲」というような問題

は、甲陽軍鑑においても、極めて重要な、いやむしろ本質的なものとして再三再四説かれています。この点は葉隠に先行する若干の本においても同様で、つまりは戦国武将と家来との全国的な実と情の世界がみられるわけです。そのほか葉隠には説かれない先ほどの孫子、あるいは周の文王、武王らの話など、その守備範囲は極めて広いといってよいでしょう。

こうしたことを考えると、仏教をバックにした葉隠、儒教をバックにした水戸、会津の武士の生き方

に対して、甲陽軍鑑は儒仏いずれもバックにしたいわば中間的な、ある意味調和のとれた本という見方もできるかと思います。我々は、夜陰の閑談を少し脇において、「他所の仏」も見てみる必要がありそうです。

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