葉隠の諸相 ~台湾と武士道~ 嘉 村 孝
ひところは、「台湾といえば武士道」とでもいいたいくらいの、一種のブームのようになっていました。しかし、これをどう考えるかは、なかなか難しい問題ではないかと思っています。
まず、私自身の台湾との関わりを言えば、明治時代に渡台した祖父の代からということですが、個人的にも小学生のときに台湾からの手紙をもらい、以後、途切れることなく関係が続いており、現在も沢山の友人がおります。新聞やテレビ出演も何度かあるというようなわけです。
ところで、この台湾の歴史ですが、一六〇〇年代の鄭成功の渡台以前に一五〇〇年代初めの寧波の乱の頃から、広東省あたりからの移民があったようです。しかし、なんといっても、明の滅亡とそれによる鄭成功らの台湾移動・明朝復興の運動が新しい歴史を開始させたといえるでしょう。
その後の大きな人口移動は、一九四五年の日本の敗戦以降、大陸から蒋介石を指導者とする国民党の軍隊が台湾に移動してきたことです。そして一九四七年の二二八事件は、数万人とも言われるいわゆる本省人の人々に対する殺戮事件を招き、忘れられないものになってしまいました。以後一九八七年まで戒厳令が敷かれていましたが、現在ではご存知のとおりの民主国です。
このような概括的な歴史の中で、日本における領台時代には、その方針に基づく教育が行われ、学校では日本語が使用されました。その後、国民党の軍隊が進駐してきてからは、今度は北京語が国語とされ、今日に至っています。テレビ局なども国民党系以外はなかなか開くことができませんでした。
そうした中、高齢の方には日本時代を懐かしむ気持ちがあるとともに、私の子供の時から接して来たKさんのように、体の半分は日本人であることを訴え、特に孫たちとのコミュニケーションができないという悲劇を訴える人もいます。もっとひどいことになりますと、いわゆる白色テロによって殺されたり、刑務所、それも絶海の孤島である緑島に幽閉されたり、ということもあります(私の知り合いも中学生の時、台湾独立を唱えたがためにそんな目にあいました)。
そんな中での武士道のブームは、それを提唱している方々によると新渡戸さんの武士道をイメージされているわけですが、一方、葉隠を読んできた私としては、武士道は決してそのようないわゆる儒教式の武士道だけではなく、バックに仏教を持った葉隠のようなものもあるわけで、二つは随分違うものです、ということを言いたい気もするわけです。
また、過日亡くなった許昭栄さん(台湾に平和の礎を造る運動をして、絶望的となるや焼身自殺。現在、高雄に完成。同じ台湾人が日本軍、国府軍、人民解放軍の軍服姿で・・・。正に運命に翻弄)の死亡記事に、「武士道というは死ぬことと見つけたり」とコメントされることにも悲しみを覚えます。
いささか問題を大きくして、親日的といわれる台湾の人々の心情を考えてみますと、例えば日本人の警察官の像を神様として拝んだり、ということが行われていたりしますが、このあたり、単に親日だからというだけでなく、宗教というものに対する考え方も全く違うということを踏まえておくことが大事です。
例えば昨年の五月九日には台湾の降誕会すなわち「花まつり」として、総統府の真ん前に大きなお釈迦様の像が据えられて、何万人ものお坊さんだけでなく、馬英九総統も、甘茶をかけたり、般若心経を読んだりということが行われました。要は、政教分離ではなく、また現世の利益を大事にする方向性が強いというところなのです。
したがって、何であれ、拝んでよいことがあれば、それは大事にされるという面があります。何事につけ、外国には日本人の普通の発想とは全く違うものがあるということでして、それを知れば、大いに勉強にもなりますし、また、日本人の目からだけの判断を下してはならないということの1つの典型でもあります。
私の専門の司法で言えば、台湾当局は、違憲判決を日本語に翻訳して立派な本にして出しておられたり、法律に対する問題意識も、日本より遥かに進んだ面があることも事実で、そうしたことも、我々は忘れてはならないことでしょう。
