トップのページに連載中の「事務室便り」の1年前のものを貼ります。1年というと 色々なことがあったな、と思います。 写真は、鎌倉・名越の大切岸。鎌倉時代、北条氏が三浦一族に備えて造ったものとい われる絶壁。800メートルにわたるといわれますが、周囲全体が防御施設です。 鎌倉といい、もちろんその他も、「地べた」自体奥が深いなと思います。 ★7月26日 数十メートル四方を制圧するには一定の火器をもった兵士1人が必要で、海・空に対 し、比べ物にならない数の陸上自衛隊員が日本にいるのはその故です。最後は陸軍が押 さえるのです。 しかして、イラクの現状では当然たくさんの兵士がいなければ「おさまり」はつきま せん。 その中に自衛隊員を派遣する議論につき、安全かどうかわからない、などというのは 正に暴論。坂井三郎さんの「大空のサムライ」「ゼロ戦の真実」でも読んでみれば、国 家は先ずは戦闘員を守れることが前提であることを深く認識するはずですから。 旅順の203高地には乃木大将の亡くなった息子さんの死地が示してあります。余り にも真面目すぎのような乃木大将ではありますが、司令官としての責任は今の政治家に その万分の1でも学ばせたい点です。 ★7月25日 仕事で静岡へ。ここでいつも思い出すのが「地名」。元々ここに賎機山(しずはたや ま)はあっても静岡はなかったはず。他県もそうですが、明治政府の行った人工国家作 りの代表のようなものです。 現代でも「平成町」みたいな無味乾燥の地名作りが先人の歴史・文化あるいはむしろ 機能を無視して行われているのはその延長でしょう。 しかもそれが海外についてもかつては行われました。これじゃ現地の人が怒り出すは ず。 そこへいくと、日本人はやはりおとなしいということでしょうか。その原因もこの博 物館に書いてあります。 ★7月20日 連休の1日、鎌倉国宝館を訪ねると、外国人の先生が他の外国人に説明されているの に遭遇。板碑に彫られている仏像やその光背について、ギリシャとの関係など述べてお られました。 正に、日本の仏像も、アレキサンダー大王の東方遠征などにより、いわゆるヘレニズ ム文化の影響を強く受けていることは明らかです。特にガンダーラ系はそうでしょう。 こうした話、どうしても外国人の方が広い見方ができるように思えてなりません。 逆に、「武道通信」の戸部アナマリアさんとの対談でも述べましたが、日本有数の学 者(とされている方)が、日本文化は他との関係なく成立した人類の奇跡である、みた いなことを言われているのには、真にビックリしてしまいます。視野を広く、と言いた いですね。 ★7月17日 小原直回顧録を久し振りに紐解きました。 大逆事件や2・26事件など数々の大事件に関与した検事で、無罪の論告をしたとも 言 われます。そして、司法大臣や戦後の法務大臣も歴任。 こういう人と同じような人が今の検事の中にいるのだろうか、といっては失礼かもし れませんが、むしろ構造的にいない、つまり存在し得るような仕組になっていないとい うことでしょう。 明治憲法は公務員を天皇の官吏とし、「拷問など中古の断獄は歴史上既往の事跡とし て現時に再生することを得せしめず」としました。現実には様々の問題があって、建前 どおりはいかなかったのですが、一応の基軸が立っていたのです(理解しにくいかもし れませんが、中古の断獄云々は軍人勅諭と同じ歴史認識です)。 現代において基軸を立てるなら、中世を否定する軍人勅諭型はこの博物館に書いたと おり御免で、民主主義・全体の奉仕者ということですがその真意の国民への徹底がいま だし、という点が、正に構造問題の本質と思っています。 ★7月12日 長崎の12歳少年による殺人事件についての鴻池大臣の発言が問題になっています。 被害者には本当にお気の毒と申し上げるしかありませんが、一方あの大臣の発言はこの 博物館で取り上げている儒教武士道のマイナス面そのものと言わざるをえません。 「市中引き回し」なるものは「中世の死の思想・・」で取り上げた中国法が大好きの 徳川吉宗の発想です。公事方御定書が秘密法典なればこそ皆に知らしめるための引回し をしたのです。 また、「祖先・お天道様に申し訳ない」は、度々書いている新渡戸さんの岩波文庫5 0頁にある「祖先や天への責任」の発想です。新渡戸さんはここで、封建君主は領民に は責任を負わなかったが祖先や天に高き責任感を有した、と書きます。しかしそれでは 国民は「権利」を持ちえず「反射的利益」以上のものを持てません。勿論、政治参加な どなし(ちなみに「中世の・・」では神戸の事件を取り上げました)。 お役所時代、相当数のこうした事件に遭遇した私の経験からは、単なる勧善懲悪でな くなるような話とは思えません。むしろ、プライバシーには配慮しつつ問題をオープン にして、 個人だけでなく社会そのものがこうしたことを防ぐ国家の枠組みを作る問題であること (つまり国民が権利と責任を持つ国家像)を考えてほしいものです。 ★7月10日 陸軍中将谷田勇さんの「龍虎の争い」が「実録・日本陸軍の派閥抗争」と表題を変え て複刻されていることは喜ばしいことです(本屋さんで発見。展望社より)。 昭和史におけるいわゆる皇道派、統制派の対立を、いわば人間の肌合いの差にまで踏 み込んで、比較的公平に書いているのではないかと思うからです。興味本位で読むので はなく、戦前の日本に深刻な路線の対立があり、その選択の誤まりが、よりひどい結果 つまり巨大な戦争と敗戦をもたらしたことを知るためです。特に「日本は悪くなかっ た」と単純な「日本」一本で考えている若い人に有益。 あたかも今日、霞ヶ関を歩いていたら日教組のデモが行われていました。そのシュプ レヒコールは相変わらずのもので、これでは憲法も贔屓の引き倒しです。6月10日に 書いたとおり、きらいな言葉ながら、「右も左」もともに単純であることが、日本がこ れから進むにあたり、どこに基軸を置いたらよいのかわからない悲劇の原因と思いま す。 それから抜け出すために、こうした本を読みましょう。 ★7月5日 10年位前の時事通信の連載に、日本はシンガポールとマレーシアとが一体になった ような国(現に戦後一時、両国は一体)と書きましたが、最近益々そんな気がしてきま した(イラクの話など見ていても)。もちろん、シンガポールは東京で、クアラルンプ ールが大阪です。 戦後の日本はシンガポールのような綺麗な国になりたいと、国会議事堂の周りにして も、一生懸命片付けを行い、私の知る東南アジアの外国人は「日本は綺麗ですね」とみ んな言います(時にはこわいくらい、とも)。最近は、中国や台湾もそれを見習う雰囲 気があります。 しかし、シンガポールで汚す行為に厳しい刑罰があるように、また、マレーシアで 様々な人権侵害が指摘されているように、正に専制的にそうした綺麗な国が作られ、国 民は従順にそれに従わされていることも事実でしょう。先日、マレーシアから来日して いる人にそうではないか、と聞きましたらそのとおりと言っていました。日本のマスコ ミの多くはかの地の指導者を大いに持ち上げますが、そうした「名君」が国民の力をそ いでいる事、その底に大きな東洋の思想の流れの一つがあることを忘れてはならないと 思います(もちろんシンガポール等、英国の影響あり)。 ★6月28日 最近のイラクにおける米英軍の戦死者の増加を見ていて思い出すのは第1次大戦以後 (1918年から)行われたシベリア出兵です。 これは多数の国の武力干渉でしたが、結果的に「無名の師」といわれ、何ら得るとこ ろなく、いわば無駄死にを累積させただけでした。 大量破壊兵器を除くためとか言っても結局は出てこず、大義名分がぐらついているの は、チェコ軍を救うため、とか言いながらうやむやとなり、石油利権に似た領土的野心 も結局は遂げられなかったその出兵の日本や諸外国の対応・結果とよく似ています。 しかも、それにより最大の被害を被ったのは現地住民であり、干渉した諸国の戦闘員 です。 今回、かつての日本の役回り、米国の役回りはそれぞれ異なりますが、日本が同様の 状況に置かれ、「第二の無名の師」になることは御免被りたいものです。正に「歴史に 学べ」でしょう。 ★6月25日 「鎌倉ー禅の源流」展でもう一つ感激したもの、それは「三笑図」です。これはたく さんの同様の絵が作られていますが、展示されたものは室町時代とはいえ、その形式は 相当古い方ではないでしょうか。 東晋の僧慧遠は廬山の東林寺に籠り、客を送っても虎渓の石橋を渡らないという誓い を立て、30年が過ぎました。あるとき、儒家陶淵明と道家陸修静が訪ねてきて、すっ かり話し込んだ慧遠は、つい誓いを忘れ、橋を渡ってしまって、三人で大笑いになって しまった、という図です。 この絵には儒仏道の三教合一の意味が込められています。 中国でも長年にわたってこれら3教のあつれきがあった一方、それを習合しようという 動きもありました。 現今の世界では同じ神を崇めながらキリスト教とイスラム教のように敵対する厳しい 姿が見られます。こうした事象に、この三笑図は様々の示唆を与えてくれます。また、 戒といい、悟りというものの意味についても寓意をもって迫ります。意味深い絵です。 ★6月22日 寸暇を見つけて一時間だけでしたが上野の国立博物館で「鎌倉ー禅の源流」展を見て きました。つくずくと鎌倉時代の持つ国際性と奥の深さを感じました。 鎌倉は京都に比べれば規模は小さいのですが、特にそこで学んだ僧の法系が足利氏や 朝廷との関係で京都に及んでいることを考えると、鎌倉・京都、そして博多は広く一体 で考えないと本当のことが分からないでしょう。 それどころか、中国との関係は絶対的で、今回見たかった無準師範の像など、その日 本に及ぼした影響を考えると正に感動的です。特にそれら頂相彫刻や絵の、真に迫った 姿は、仏像彫刻の衰退を補う迫力があり、それはやはり「深く考える」という禅の所産 のような気がしてなりませんでした。 ★6月19日 地方分権が大きな問題として浮上しています。江戸時代は正に分権のようですが、家 光以後はこの博物館に書いたとおり相当な中央集権になりそれがわかる一つの例が東照 宮かと思います。 秀忠が日光に造った東照宮は天海によってこの博物館で時々ふれる群馬県尾島町に移築 されました。古色を帯びた、規模は小さくても立派なものです。それに対する家光の東 照宮は、ご承知のとおりです。 そして、家光というと慶安のお触れ書き。その内容は、「公儀ご法度を怠り、地頭代官 のことをおろそかにせず、さてまた名主、組頭をば真の親と思うべきこと」など、お前 達は静かにしていればご飯が食べられるんだからいいよな。みたいなもの。後の綱吉の 先駆です。 これじゃ武士道の方も変質したんだろうな、と思うのが正常でしょう。本来、「農民 は武士」だったのに、ここでいよいよ「農民意識」が植え付けられ、従順なお百姓にな ったのです。 そして、武士は偉いのであり、その代わり間違いがあれば切腹してわびなさい、とい う近代武士道観が生まれたわけです。 本当の地方分権のためには、ここの意識改革が伴わなければなりません。そして、そ のためにはここでも、団体自治(地方分権)、住民自治(民主的運営)という「憲法の遵 守」が必要なのです。まぜならこれらの規定の実現には国民のしっかりした「個」の確 立が前提になるからです。 ★6月14日 このところ固い話が続いていますが、尻切れトンボもよくないので、もう1つだけ。 6月10日の話を理解いただくには5月5日の川島芳子の話がわかりやすいかもしれま せん。 彼女は蒋介石の軍隊、つまり国民党の政権によって殺されました。というのは、台湾 に行ってみるとわかりますが、その政権は、中国領として今のモンゴルまで考えていま す。そうなると、モンゴルを独立させたなんて正に裏切り者、というわけなのです。 でも、2度にわたる満蒙独立運動は、当時世界的に盛り上がった民族自決の企てであ り、現在も内モンゴル自治区が中国に置かれていることは、その自決の考えと勢力に沿 う日本の政策、つまり万里の長城を越えずに周辺を納得させる政策が有り得たことを指 します。荒木・真崎はそれであり、A級戦犯の武藤章や東条さんらは反対です。だから こそ、昭和17年の満州国10周年に、荒木大将は自分らの理想と違うといって出席し ませんでした。 川島芳子の憤りもそれであり、彼女の悲劇もそこにあります。彼女をばかな女のよう に扱う小説家は、全く論理を分かっていない。 そこをしっかり分かることが日本の本当の間違いを知ることにもなり、単純な見方に 決別することにもなるのです。 ★6月10日 先日、日曜出勤して、夕飯を食べようかとラーメン屋さんに入ると、旧知のk先生に 出会いました。先生も法律の先生で、私の大学の元講師仲間。お父さんは衆議院議長を 務め、東京裁判の副弁護団長。と言えば分かる人には当然分かりますよね。 話は、近くで起こった226事件のことに及びました。よく、真崎甚三郎大将が黒幕 だ、なんていう俗説がはやりますが、互いに「とんでもない」で意見一致。およそ水戸 学的武士道観、つまり天皇陛下は聖明であり、その君側を倒せば維新成就と思っている 人間にだれかをかつぐなんていう発想はありません(聖明が発揮されるだけなんですか ら。そのくらい当時の青年将校は純粋だったんです)。5・15の先駆小沼正が現代史 資料で述べているところや、昨年亡くなった青年将校の生き残り・池田俊彦さんの書か れたものなど参照。こんな実は簡単なことまで、武士道観の違いという「論理」が分か らないことから歴史認識に過誤が生じるなんて本当に残念です。この「論理」で考えな いのが6月1日に書いた「単細胞」です。 そして、「昔の日本は悪くない」みたいに「日本」と「一つ」にしてしまって、その 中が2つに分かれていたことを考えない単細胞の見方は、日本人の針を右へ左へと大き く振らせることになります。つまり、「一億総ざんげ」か、「悪くない」かです。最近 の若い政治家にネオ・コンサーバティブが多いというのもそういうことでしょう。右 翼・左翼なんて言葉は死語と思っている私ですが、昔左翼で、今右翼なんていうのはま ず信用できません(それが日本の枢要な位置にいる点が問題。私達が学生のころは、昔右 翼で、今左翼が多かった)。 派閥の名で言うのは不適当ですが、昭和史のいわゆる統制派(東条さん、その一派)、 皇道派(名前が不適、荒木、真崎)の政策の違いを時の人の生の声を聞いて考えてみる べきです(評論家の書いているのは相当な誤りあり。また「生の声」だからといって全 て信用はできません)。 ★6月7日 6月1日の話を敷延し、本当に偉い人(つまり武士道の人?(笑))は、戦争にどう 「負けた」のかを海舟の話をもとに考えてみます。 海舟は日清戦争における山東半島・威海衛の海戦で敗れた清国の提督・丁汝昌につい て、彼が、将来の清国を託すべき200名からの有為の部下を救い、また、諸国の干渉 を排除して自殺の道を選んだことを「丁汝昌の境遇の如きは部下には数年来苦心養成し たところの他日中国海軍の要素たるべき200名の秀才があり、傍らには面倒なことを 言い出す雇い外人あり、これらの処置をつけねばならぬ。倒れるまで奮戦しようとすれ ば10年素養の200名を殺さねばならぬ。それで降参しようとすれば自分の良心がどう しても許さない。そこで丁は沈思黙考中国海軍の将来を慮り、自分の面目も立て、かつ は雇い外人との義理から一身と軍艦とを犠牲にして顧みなかったのだ。・・丁の処置は 実に戦闘力を失った艦長の取るべき模範を示しただけでなく、しょうじょうたる海戦史 の秋の野に一点の紅花を点じたのだ」と言って評価しています(氷川清話)。 「死なばもろとも」などと言っておきながら、部下を死なせて自分は死ななかった、 あるいは国の将来を託すべき学童の疎開にも反対するなどということがあった第二次大 戦時の政治家の話と海舟の言うところとを比べてみれば、何が本物で、我々がどうしな ければいけないのかは自然に明らかになることでしょう。兎に角、よーく事実を見よと いうことです(イラクも同じ)。 ちなみに、威海(旧威海衛)やその近くで、私の祖父が第一次大戦においてドイツへ の攻略戦に参加した青島も、今や最先端の都市として発展しています。丁汝昌の思いや いかに。 |
1年前の「事務室便り」
事務室便り