葉隠の諸相 売茶翁にも注目を 嘉村 孝
佐賀市大和町には、大和不動、即ち、万寿寺があります。この寺は、博多に承天寺を開いた聖一国師円爾の弟子、神子栄尊が開いたともいわれる寺です。
円爾は、静岡県で生れ、栄西の弟子栄朝が開いた群馬県尾島町(現太田市)長楽寺で修業した後、中国に渡り、帰国後、謝国明の援助を受けて、博多に承天寺を、大宰府に崇福寺を、そして大和に万寿寺を開き(開かせ)ました。
一方、江戸時代、その長楽寺の住職と、佐賀市鬼丸の宝琳院の住職は、円義という同一人物が勤めており、群馬と佐賀とは、いろいろなところでつながります。
先年、私共は、その長楽寺を訪問しました、すると、その寺の本堂には巨大な三体仏が鎮座しておられました。その内の右側・阿弥陀如来像は、蓮池藩主で、葉隠にも登場する鍋島直之の寄進した仏様です。そして、その直之の子らと関係するのが同じく禅僧売茶翁高遊外です。
翁は一六七五年(つまり常朝より七年程おくれて)蓮池に生れ、一一歳の時、佐賀市にある黄檗宗龍津寺に入寺。化霖の下で修行し、二二歳で京都に上ります。
更に、江戸、仙台、長崎などを旅して佐賀に帰り、五七歳ころ(一七三一年)僧院生活を脱し、六一歳の時、京都・東山に通仙亭を構えて茶を売りはじめました。
その茶は、昔むかしの団茶でもなく、利休のような抹茶でもない。やや不正確かもしれませんが今につながる煎茶です。むしろ、長崎で学んだ中国南方の茶の入れ方に近い、あるいは、それそのものといえるでしょう。
「茶銭はくれ次第、ただ呑みも勝手」という姿は、「僧に非ず道に非ず又儒に非ず(非僧非道又非儒)黒面白鬚の窮禿奴(黒面白鬚窮禿奴)孰か謂う金城に周ねく売弄すと(孰謂金城周売弄)乾坤都て是れ一茶壷(乾坤都是一茶壷)」という禅の精神に出たもので、交遊のあった木村蒹葭堂らの残した絵や、現物を見ますと、強い禅味が感ぜられます。
いわば、禅者であることを徹底した結果、禅(仏教)、儒(儒教)、道(道教)全てを付き抜け、放擲した姿ともいえます。アジアの特に長江からベトナムにかけての仏教のにおいが強いといえるのではないでしょうか。
こうして、一切に凝滞しないその姿は、有髪の僧(?)であり、正に聖俗を超越しています。そしてそれは、この当時の他の黄檗僧隠元、即非らにもいえることです。
この人々、特に即非や独立の字は佐賀県のあちこちにあります。
売茶翁は、ほとんど著作といえるものを残さなかったため、よくはわかりませんが、禅の徹底ぶりは常朝とは全く異なり、また超えるともいえ、そのことが彼を日本全体のものとし、一方、佐賀では地味に扱われている原因の一つをなしているともいえるのではないでしょうか。異風のようでむしろ正統なのです。
同じ禅とはいっても、こうして対置される部分があることから、常朝らはこうした人々に敵対的な態度をとったようです。
いずれにせよ、佐賀が生んだ葉隠ともその本質的部分でかかわる素晴らしい人物の一人であり、もっと地元で顕彰すべき人でしょう。
