禅者と葉隠

禅者と葉隠 ―葉隠の諸相―                  嘉村 孝

戦前、特に昭和七年の上海事変以降、葉隠は軍国主義あるいは国家主義のいわば代表のような扱いを受けました。

しかし、そのような時代にも、葉隠を人間の魂の救済の書として読んでいく禅者の立場がなかったわけではありません。昭和一五年に「禅と日本文化」を出版した鈴木大拙もその一人ということができます。

彼はこの本を英文で出版し、世界に禅の存在を知らしめました。京都などの禅堂に青い目の雲水がみられるのもこの書の影響が強いといわれます。

実をいいますと、禅と「文化」とがなじむものであるかについては異論があります。

特に、曹洞の道元のような只管打座の考えからは一種の「楽しみ」の世界に遊ぶ「文化」は禅の対極ともいえ、こうした考えからは寺に茶室があることなど許されないともいわれます。

その意味から、大拙の禅はあくまでも彼の「禅」あるいは「ZEN」であり、古くからの「座禅」ではないともいわれるのです。

ただ、彼が葉隠を禅の書として紹介したのは、そのあちこちに間違いがあることも事実ですが、あのような時代には貴重なことであったといえます。

しかるに一方、そのような禅者の中で、我が佐賀県人としては、是非立花俊道大和尚を挙げたいものです。

彼は、明治一〇年、佐賀県杵島郡南有明村に生まれました。曹洞宗大学即ち現在の駒沢大学を卒業後、直ちに海外留学生として現在のスリランカの元首都コロンボに留学。古代インド語、原始佛教を学び、ついでオックスフォード大学に留学したとのことです。その後、八王子の松門寺住職となり、駒沢大学の学長を二期勤めて、昭和三〇年に亡くなりました。日本における古代インド語研究の草分として辞典の編纂の他多数の著書も残されていますが、その「葉隠武士道と禅」は、私の知る限り最も正当的に禅の立場からの葉隠を論じたもので、同じ駒沢大学の先生である山上曹玄の「葉隠武士の精神」よりもはるかに禅の基本に忠実な、学匠の書というに足る書物と考えています。

昭和四九年一一月、私は筑紫観世音寺を訪れ、「いつでも平気で死ねるのが禅であると思っていたが、禅はいつでも平気で生きるためのものだった -漱石ー」の文章に接しました(漱石ではなく子規との話しあり)。また、高伝寺の先の方丈さんから「死ぬことと見つけたりとは生死一如のこと」というお言葉もいただきました。

葉隠の本質について一つの答えをいただいた気がしたものですが、その成立のいわれからも、禅を抜きにして葉隠を語ることはできません。この点が、いわゆる

「上方風」の武士道とは大いに異なる点ですが、我々の足元にあるこうした事柄が、あまり顧みられていないのは残念なことというべきでしょう。

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