葉隠の諸相

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姜沆と藤原惺窩ら

葉隠の諸相 「姜沆と藤原惺窩ら」嘉  村  孝ここのところ室町時代からの日本と東アジアの歴史を追ってきました。特に戦国時代末期においては、豊臣秀吉が一五九三年(文禄二年)、中国の明に対し「大明日本和平条件」として送った第一条に、「和平誓約相...
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公主と駙馬の話から、秀吉、直茂らの戦いの意味へ

葉隠の諸相  公主と駙馬の話から、秀吉、直茂らの戦いの意味へ嘉村孝前回、もとはといえば、武蔵の藤原氏つまり武藤氏が、鎌倉時代の初め、源頼朝の命により、太宰の少弐に補されて九州に行き、室町時代、中国地方の大内氏との特に貿易上の争いにより対馬に...
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ウクライナの話と「尚武」

葉隠の諸相―ウクライナの話と「尚武」―嘉村孝  京都大学の名誉教授である田村実造先生が『最後の東洋的社会』の中で書かれていること。「狩猟民である満州人と農耕民である中国人とでは風俗習慣がちがうのは当然であるが、そのうち深刻な政治問題にまでな...
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葉隠や常山紀談における小早川隆景

葉隠の諸相―葉隠や常山紀談における小早川隆景―嘉村孝 平安末、相模の豪族・土井実平は、石橋山の戦いで負けた源頼朝を船で安房に逃がすという功を立て、それにより安芸(広島県)に領地をもらいました。そして、子孫が小早川を称し(小田原に早川がありま...
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『竹原古墳』から考える日本の武士の「元の姿」

葉隠の諸相―『竹原古墳』から考える日本の武士の「元の姿」―嘉村孝 葉隠に関係深い話しから始めますと、佐賀県鳥栖市に田代太田古墳があります。これは古墳時代後期六世紀後半に作られたと言われ、横穴式石室からなるもので、私も数十年前にその内部にある...
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武富廉斎の『孝子伝』の話と、『葉隠』との対照

葉隠の諸相―武富廉斎の『孝子伝』の話と、『葉隠』との対照―嘉村孝 「孝」という観念については、京都大学教授を務められた桑原隲蔵(じつぞう)先生(桑原武夫さんのお父さん)の言葉に、「孝道は支那の国本で、又その国粋である。故に支那を対象とする研...
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『武士道と徳川社会の近代化』と『葉隠』

葉隠の諸相―『武士道と徳川社会の近代化』と『葉隠』―嘉村 孝今回は、「主君押込」で有名な笠谷和比古氏の同名の小論(ネットにもあります)についてちょっと考えてみました。氏は、小論一頁目の「戦国武士から近世武士へ」のところで、中世社会においては...
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「恋闕(れんけつ)」とアジア・ヨーロッパ

葉隠の諸相―「恋闕(れんけつ)」とアジア・ヨーロッパ―嘉村孝武士道も地域ごとのバックグラウンドや、国際関係の変化を踏えて考えることが大切であると思っているものですから、昭和史上有名な言葉である「恋闕(れんけつ)」とアジア・ヨーロッパを考えて...
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群馬、静岡、京都、博多、大和町、武雄、浙江省などをつなぐ聖一国師と『葉隠』、そしてうどんやそば

葉隠の諸相―群馬、静岡、京都、博多、大和町、武雄、浙江省などをつなぐ聖一国師と『葉隠』、そしてうどんやそば―嘉村孝聖一国師円爾は、「駿河安倍郡藁科の人で、五歳で久能山の堯弁法師について俱舎・天台を学び、一八歳、円城寺で得度、東大寺で受戒。の...
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満蒙の独立運動と川島浪速・芳子、そして武士道

葉隠の諸相―満蒙の独立運動と川島浪速・芳子、そして武士道―嘉村孝満蒙は旧満州とモンゴル・蒙古とをまとめた言葉です(ただし、日本人が呼ぶそれは、旧満州の西側。所謂東部内蒙であることに注意。)。中国が一言で言えば農業国家であるのに対して、この二...
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