葉隠の諸相「念々に非を知る『非知り』の書 葉隠」
嘉 村 孝
山本常朝の説くところにおいて、「念」という観念は極めて大事です。
「當念を守りて気をぬかさず、勤めて行くより外に何も入らず、一念々々と過す迄なりと。」
「端的只今の一念より外はこれなく候。一念々々と重ねて一生なり。此所に覚え附き候へば外に忙しき事もなく、求むることもなし。此所の一念を守りて暮すまでなり。皆人、此所を取失ひ、別に有る様にばかり存じて探促いたし、こゝを見附け候人なきものなり。守り詰めて抜けぬ様になることは、功を積まねばなるまじく候。されども、一度たづり附き候へば、常住になくても、最早別の物にてはなし。この一念に極り候事を、よくよく合点候へば、事すくなくなる事なり。この一念に忠節備り候なりと。」
「宗龍寺 江南和尚に、美作殿一鼎など学問仲間面談にて、学問の話を仕懸け申され候へば、『各は物識にて結構の事に候。然れども道にうとき事は平人には劣るなり。』と申され候に付、『聖賢の道より外に道はあるまじ。』と一鼎申され候。江南申され候は、『物識の道に疎き事は、東に行く筈の者が西へ行くがごとくにて候。物を知るほど道には遠ざかり候。その仔細は、古の聖賢の言行を書物にて見覚え、噺にて聞き覚え、見解高くなり、早や我が身も聖賢の様に思ひて、平人は虫の様に見なすなり。これ道に疎き所にて候。道と云ふは、我が非を知る事なり。念々に非を知つて、一生打置かざるを道と云ふなり。聖の字をヒジリと訓むは、非を知り給ふ故にて候。』
つまり、一念、即ち当念に全てを集中し、かつ、それを捨てていくという姿勢です。
「武士道というは死ぬことと見付たり」の話にしても、これを念々に死ぬこと、つまり「念死」としてとらえ、禅の無我の境地を言うもの、とする見方がきちんと(?)存在します。長崎喧嘩をよしとしている葉隠ですから、全てこの念死とはいえないところが残念ですが。
ところで、このような仏教的な非を知るのとは別に、儒教的に非を知る人もいます。
それは、実は葉隠の大きなテーマの1つ、背振山の争論の一方の相手、黒田藩における担当者でもあった貝原益軒です。
彼は、常朝さんより30才ほどの年長ながら、死んだのはほぼ同時で、正に二人は時代的に重なります。
裁判で負けてしまった益軒でしたが、その一生を通じての勉強は「これも非なり非なりと思うて一生嘆息」の葉隠精神(?)と同じで、特に八四才で著した「大疑録」は、自らが一生大事とした朱子学に対し、根本的な疑問を呈したもので、その生き方は、常朝に優るとも劣らない、といってよいのではないでしょうか。
