| 2004/6/20 (日) 10:27:42 – 嘉村孝 – No.1087693288 6月は沖縄戦の月です。 数万人の軍人の戦死に対し、守られるべき非戦闘員十数万人の戦死は改めて様々なこ とを考えてしまいます。 戦争をしない、という当然の事とともに、明治憲法という枠の中で、指導的立場にあ った政治家や軍人の行動や生きかたに問題はなかったかも含めて。 写真は、日本軍の組織的戦闘の最後の地・摩文仁の丘からの眺めと、そこにある牛島 満第32軍軍司令官、長勇参謀長の自決の壕の入り口です。 長参謀長といえば、十月事件の首謀者の一人で、いわば上からの政権交代を意図した 人物。そうしたことを画策した人はここで何を思い、あるいは考えて自決したのか。 わずかの人が政権を壟断できるシステムは、その人が命をもって責任を取るとして も、余りにも多くの犠牲を伴う、とも思います。 今の世の中はそうではないシステムのはずですが、運用においてそうでは困るし、ま してや責任が取られないようでは、正に奇怪なシステムといわねばならないでしょう。 ありがとうございます。 島田知事は佐賀県警察部長の時、私の祖父も忠霊塔の件でお世話になっておりまし て、昔から話を聞いております。 産業組合の運動家で、村長、県議などをつとめていた祖父は、村に忠霊塔の建立を企 図しましたが、当時は 内務省の通達で簡単には建てられなかったそうです。その時の島田さんとのやり取りは なかなか面白いもので、真崎甚三郎大将揮毫にかかるその忠霊塔は、戦後、米軍をはば かっての倒壊問題も乗り越えて、今も納骨式の塔として建っています。 おっしゃるとおり、沖縄戦での島田さんのことは色々なところで取り上げられていま すが、最後、不明になる時点でつき従ったのが当時の警察部長だけだったという話に、 益々かわいそうなものを感ずるとともに、個人の倫理観(これは美濃部達吉の「行政法 撮要」にある官吏の根本的理念の言葉)に余りにも依存するシステムは悲劇を生むとと もに、その有効性に問題を感ぜざるを得ないわけです。 立派な島田さんのような人を皆で支える社会にすることが大切ではと思っています。 話しはややずれますが、沖縄戦前夜に沖縄県知事として赴任した島田叡氏。彼は、佐賀県警察部 長在任中、佐賀市赤松町の龍泰寺で開かれていた「西郷書院」に参加し、当時の住職佐々木雄堂 から、『南州遺訓』と『葉隠』に大きく影響を受けたそうです。 エリート官僚たちが、いずれ戦火が及ぶであろう沖縄県の知事への就任を断り、また、現職知事 ですら、戦火が及ぶ前にだだをこねて離任するという状況下、その任を引き受け、県民と生死を ともにせんと敢然と赴任したのが島田知事でした。そのとき、知事が携えていたのが、佐々木氏 が贈呈した『南州遺訓』と『葉隠』の二冊だったそうです。結局、盟友の警察部長とともに、最 後まで県民とともに行動し、最後は戦死を遂げたそうです。軍部の牛島司令は、「あなたは文官 だから死ぬ必要はない」と諌めたにも関わらず、知事はそれを受け入れず、最後まで知事として の責務をまっとうしようとしたところに、私は感動しています。 詳しくは、『沖縄の島守~内務官僚かく戦えり』(中央公論)田村亮三著に書かれています。 |
沖縄の戦いから考えること
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