殉死者はどう扱われているか、と二つの武士道

  2004/11/23 (火) 09:03:53 – 嘉村孝 – No.1101168010 (添付1) 1101168010.1.jpg

ここは、佐賀市・妙玉寺。葉隠の主人公の一人である鍋島茂賢夫妻とその殉死者の墓で
す。こうして、殉死の人々が主君とともに埋葬されるのは、佐賀だけではなく、例えば
お隣の博多・東長寺の黒田忠之の墓などもそうですし(「葉隠論考」に写真あり)、東
北・伊達政宗の墓も同様です。これが「一味同心」の具体的な姿といってよいでしょ
う。
ところが、佐賀藩幕末の名君とされる鍋島直正の墓は、佐賀の北郊・大和町にあります
が、神葬つまりは儒葬で行われ、殉死者・古川松根の墓は主君の墓の奥の蔭に小さく埋
葬されているだけです。つまり、あの墓はいくら佐賀にあっても、葉隠型の墓ではない
のです。逆に伊達政宗の墓は東北にあっても葉隠型です。
そもそも、君臣の「別」を重視する宋学では殉死はむしろ禁止。階級的区別、つまりは
差別がその本質です。神儒一致を標榜する水戸・会津もそうです。
こうして二つの武士道は明確に区別されるのです。
靖国神社が昨日も問題になっていましたが、あの境内には「華族」の献灯が。しかし、
「公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵」は礼記の言葉です。「日本では」とか述べながら、
その行動は逆のことを行っていないか、自身反省してみる必要があります。
水戸や会津の巨大な墳墓に、この小さな墳墓は意識として優っているともいえます。
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